AIと名刀 この話には教訓がある

戦前にまあまあの資産家だった曽祖父が、家宝の刀を大政翼賛会に供出してしまった。という話を祖母から聞いたことがある。

 

当時は面白い歴史と思っていたが、最近になって他人事ではない気がしてきた。

足元で起きてるデータセンター特需と、それに伴うゲーム機やPCパーツの異常な値上がり。

スケールは全然違うが、太平洋戦争・AI戦争の大義のために、個人の文化が収奪されるという点では同じだ。

 

そもそもコンピューターは兵器として生まれた。世界大戦や冷戦が終わって余ったものが、民間の道具として転用されたとも考えられる。

言うまでもなく刀も兵器として生まれ、戦国の世が終わってから美術品になった。

ある種の先祖返りであり、避けられないことなのかもしれない。

 

 

しかし、この話には教訓がある。

文化を重視ならば、時として社会の役に立ってはいけない。

 

 

良くも悪くも社会が停滞しているとき――平成や江戸中期のような時代では、文化ポジションと実利ポジションは正の相関だった。

こういう時代はわかりやすい。文化・娯楽を重視することは、役に立つことと何ら矛盾しない。人々が良い作品を作ったり所有したりすることが、そのまま利益につながる。

 

しかし社会が大きく変化し荒れていくとき――昭和前期や鎌倉・室町のような時代では、文化ポジションと実利ポジションが逆相関になる。
どういうことか?

 

かつてあった刀の銘は、正宗だったと聞いている。

 

さすがに真作ではなく、後世に作られた写しだろう。当時まだ幼く、刀自体には興味のなさそうな祖母からの伝聞なので、間違っている可能性もある。

しかし万が一、本物の相州正宗が失われたとしたら……

一族の損失どころか、人類の損失だ。

 

曽祖父がどんな人だったのかは知らない。

だが一般論として当時の状況を考えれば、供出を拒否することは"非国民"であり、断わるのは難しかったはず。

戦争に勝つという実利の前では、正宗レベルの文化財すら簡単に失われてしまう。

 

文化と実利の逆相関とは、そういう恐ろしい時代だ。

 

そしておそらく、今後の世界はそうなっていく。というか、もう部分的にはなっている。

 

「何者かになる」だとか「オタクは経済を回してる」だとか、そんな甘い発想ではポジションを維持できなくなる。

 

AI時代にも文化を重視して生きるのであれば、どれだけ非難されても「社会の役に立たない覚悟」が必要なんじゃなかろうか。