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今回の件から俺が得るべき教訓は

ウェイオタク批判

どうも、久しぶりの更新となります。

 

本来はアイドルマスターシンデレラガールズ一挙振返り感想【前編】の続きとして2クール目の感想を書く予定でしたが、自分の中で島村卯月と渋谷凛の存在についてまとまらなくなってしまい、お話を振り返ってる場合ではないので中止しました。私の「脳内家族」という概念が変革を求められている気がする……。

 

さて、今回は停滞気味だったウェイオタク批判に関する新しい教訓についての話です。

 

2ヶ月くらい前のこと、大学で次の授業がすぐ始まるのに急に腹が痛くなり近くにあった多目的トイレに駆け込んだことがありました。

 

入って少しすると人の気配、そしてドアのノックとともに「車椅子の人ですか?」と声がしました。

 

病院でもないのでそうそう車椅子の人が居るはずもなく、普通の人が気軽に多目的トイレ使ってんじゃねーよと遠まわしに言いたげな攻撃的オーラを察知。

 

適当に返事すると今度はわざとらしく咳払いして急かす戦法を食らいました。

 

こういう人の罪悪感に訴えるような手慣れたテクニックを使われると人間の嫌味なところが感じられて少しイライラしつつ、やはり精神攻撃が効いたのか腸がいまいちスッキリしないまま退散してしまいました。

 

このような急かし方は、ストレートに「急いでるんで早くして下さい!」とか言うよりもかなり効果があるようです。

 

そのときは腹痛もあって逆ギレ気味になっていたけど、後々考えるとそのときの自分はウェイオタクと同じ"多数派ゆえの傲慢さ"を発揮していたことに気がついて少し反省。

 

つまり、たくさんある普通のトイレを使える健常者が少ししかない車椅子用のトイレを我が物顔で使うということは、当たり前にある現実の人間関係で満足できるウェイオタクが限定的なオタク文化を土足で荒らすという行為に近い。

 

私が言いたいのは、例えば二次元の萌えキャラというのは人間社会の規範から迫害された鬼が微かに残った人類愛を失わず希望を持って生きていくためのセーフティネットであり、モテたいけどモテなくてルサンチマンが溜まっている人間らしい人間の慰み者として気軽に消費されるべきではないということです。

 

あなたたちの最終目標は現実世界の泥臭い人間関係においてウェイすることなのだから、安易にオタクの看板を掲げて清浄なオタク文化圏でしか生活できない本当に困窮してる人々を圧迫するなというのがウェイオタク批判の主旨。


しかし、これをストレートに"義憤"として表現し、明確な意志を持った強いオタクと周りに流されやすい弱いウェイオタクという構造で展開する今までの論法は時として反発を生み、必ずしも上手い手段とは言えませんでした。

 

今回の件から俺が得るべき教訓は、直接的な怒りよりも悲しみを語って罪悪感を煽った方が人は動かしやすい――――ということだ。

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これからは、今の社会に溶け込んでいるオタク像はあくまでウェイ的なものであって、従来のオタクは依然として弱い立場にあり俗世とのズレに苦しんでいるというテーマも掘り下げていく予定です。