鬼ブログ

世に従えば身苦し。従わねば狂せるに似たり。

シンギュラリティの宗教性を好意的に考えたい

数年前、初めてシンギュラリティ(技術的特異点)という概念を知ったとき、「なんて面白い考えなんだ! これは絶対に流行るぞ」と思い、提唱者であるレイ・カーツワイルという学者の公演動画を一気に見てしまうくらいテンションが上がった。

 

しかし、あまりにサイバーパンクなアイディアを権威を持った人物が大真面目に語ってしまったせいか、結構な批判に晒されているらしい。

 

主な批判意見としては、科学的根拠が薄いという身も蓋もない正論。

 

そして、科学的というよりは宗教的なものなのに、シンギュラリティ信者は科学的だと思っているのが厄介だという批判も見かける。

 

ナードがなんか騒いでいるよって感じに揶揄するものや、真面目に人工知能の研究をしている立場からすると迷惑だという苛立ちがこもるものもあった。

 

確かに遠い未来について地に足の着いた議論などできるはずもなく、今のところシンギュラリティの到来は希望的観測に過ぎない。

 

遠い未来に神のような人工知能が現れる、現れるかもしれない、現れたらいいなあ。そんな感じの話である。

 

ただ、こういうシンギュラリティの宗教性を「科学的でない」ことの判断材料として見るだけで使い捨ててしまうのは、なんだか勿体無い気もする。

 

ブッダとキリストは立川でのんびりしてて世界救う気なさそうだし、有名な新興宗教は選挙前に押しかけてきたりイタコ芸やったりサリン撒いたりして滅茶苦茶な時代。

 

救世主に縋りたくなったとき、行き着く先としては優良物件なんじゃないだろうか。

 

今は辛いけど2045年までは頑張って生きようとか、そこまでポジティブに考えることは出来ないけど、特異点までのロードマップが少しづつ現実のものになることを祈っていよう。

 

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